文学と年齢。
2011年 02月 01日
文学作品は、例え同じ文章でも、読んだ時期によって受け取る内容や感想が変化するものですが、こうした感覚は作家自身も感じることがあるようです。村上春樹氏は、敬愛する米国の作家、レイモンド・カーヴァーの享年を既に越した現在、カーヴァーの作品に対する見方が変化したことを語っています。
”…彼が亡くなって、その年齢を追い越してからあらためて作品を見返してみると、カーヴァーって意外に若かったんだなと、ちょっとびっくりしてしまうことがあります。僕はいま五十五歳だから、彼が死んだ年齢を五歳も超えてしまっています。
こちらが歳下だった時代の読み方と、年上になってからの読み方は微妙に違ってきます。
昔はただ見事だなと感心していた作品も、今読むと「そうか、カーヴァーも精一杯がんばっていたんだ」と、心をふと打たれたりする。昔にはわからなかった心の動きの瑞々しさが、今なら見えてくるところもあります。そういう意味では彼の場合、完成された作品でも、決して閉じていないんですね。だから若々しさが、そのままのかたちで残されている。”
[村上 2010: 260-261]
”…彼が亡くなって、その年齢を追い越してからあらためて作品を見返してみると、カーヴァーって意外に若かったんだなと、ちょっとびっくりしてしまうことがあります。僕はいま五十五歳だから、彼が死んだ年齢を五歳も超えてしまっています。
こちらが歳下だった時代の読み方と、年上になってからの読み方は微妙に違ってきます。
昔はただ見事だなと感心していた作品も、今読むと「そうか、カーヴァーも精一杯がんばっていたんだ」と、心をふと打たれたりする。昔にはわからなかった心の動きの瑞々しさが、今なら見えてくるところもあります。そういう意味では彼の場合、完成された作品でも、決して閉じていないんですね。だから若々しさが、そのままのかたちで残されている。”
[村上 2010: 260-261]
by okphex
| 2011-02-01 23:59
| 日々の文章