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by okphex
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「言葉」の使用は、話し手にとって力になる?それとも世界を閉じ込める?

今、内田樹先生の『こんな日本で良かったね』という本を読んでいます。

こんな日本でよかったね―構造主義的日本論 (文春文庫)

内田 樹 / 文藝春秋


内田先生がブログで執筆されている文章を中心として、日本論や構造主義の分析についてまとめているそうです(講読中なので断定調では書けないのです)。
今読み進めているところまでで興味深かったのは、「言葉」と「主体」についての議論です。
現代思想の議論では、「語るべき意見や思想」よりも、まず「言葉」があり、何らかの言葉を発したり表明した際に感じる、「なんか言いたいこととは違うような気がする」とか、「前後の言葉との繋がりがおかしい」といった違和感を、言い換えや追記などで穴埋めしていき、「誰でも納得できる言葉」に練り上げられていく過程で、「言葉を発する以前から既に存在していた意見や思想」なるものが出現していくとされています。

こうした考え方だと、何か言いたいことがあってから発言するのではなく、まず発言があってから、言いたいことが作り上げられることになります。

そんなバカな!と言いたくもなりますが、自分の発した言葉に自分で酔ったり、感情を高ぶらせる場面といった、随分低レベルな次元ですが、いくつか思いあたる節を思いおこしてみると、妙に納得してしまいます。人は言葉に操られる、ということを前提とすれば、先人の言葉の響きや力を取り入れて、自身の言葉や思考に磨きをかけるためにも、読書の重要性が納得できますね。
by okphex | 2010-02-02 07:13 | 書籍