書評・丸谷才一著『女ざかり』
2007年 02月 26日
丸谷才一著『女ざかり』文藝春秋 1993年
大手新聞社「新日報社」の人事異動から物語は始まります。同社の新たな論説委員となった浦野重三と南弓子ですが、南は着任早々、どうやら自分が執筆した社説が原因となったと思われる、不可解な人事異動に巻き込まれそうになります。
そこでこの騒動の原因を突き止め、不本意な異動を回避しようと、浦野と南、さらに南の娘や母、そして元女優の伯母といった女性達と、彼女たちを取り巻く男性達が入り乱れて、物語は意外な方向に発展していきます。
一見地味な導入部から、徐々に加速度を上げて、政治や芸術論まで巻き込みつつ一気に結末へと向かっていきます。登場人物達の交わす会話という形で随所にちりばめられる芸術論や哲学論は、丸谷氏の博学ぶりを十分に披露しており、いずれも興味深い議論ばかりです。けれども、一読すると物語の主要部分とは関係のない、余計な個所のように思え、ちょっと戸惑うこともありました。
ところが最後まで読み終えて、もう一度本のあちこちを読み直してみると、一見余分に思える記述や、挿話の一つ一つの中に、結末の謎を解く鍵がちりばめられていることが分かり、その構成の見事さに驚かされました。この本は小説風の体裁を採りながらも、紛れもなく丸谷氏による日本文化論であり、その重要な鍵となる観念の一つは「贈与」、つまり何かを贈り、贈られる行為です。
「贈与論」とは、日常生活から、芸術、政治など、人々のあらゆる行為の奥底には、贈与という観念が存在するという考え方で、文化人類学や哲学など、人間の文化的な行為を解き明かす学問では今や古典的とも言える理論です。最も有名な研究としては、マルセル・モースの『贈与論』でしょうか。こうした研究は興味深いけど、その内容を十分に理解するには、複雑な理論と難解な用語と格闘しなければならないのが難点です。その点丸谷氏は、個々の人物達の思惑や行動を通じて、この抽象的な理論を日本の文化論へと接続することに成功しています。そのため、本書は一度目の読書では、物語そのものが楽しめ、二度目は丸谷氏の文化論を味わうことが出来るという、味わい深い作品となっています。
緻密な構成を敢えて自ら茶化してしまうかのような、ユーモアや冗談が随所に織り込まれていることも丸谷氏の作品の特徴ですが、本書でも、もちろんその腕前は冴え渡っています。物語の冒頭で、記事が書けない(!)論説委員の浦野が、何とか社説を書こうと四苦八苦する場面や、何とか同僚の南の気を引こうと、様々な趣向を凝らすいじらしさには、何度読んでも笑ってしまいます。物語では彼は道化師のような損な役回りですが、この本全体が生き生きとして活気に満ちているのは、間違いなく浦野という愛すべき人物のお陰でしょう。
<付記>
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大手新聞社「新日報社」の人事異動から物語は始まります。同社の新たな論説委員となった浦野重三と南弓子ですが、南は着任早々、どうやら自分が執筆した社説が原因となったと思われる、不可解な人事異動に巻き込まれそうになります。
そこでこの騒動の原因を突き止め、不本意な異動を回避しようと、浦野と南、さらに南の娘や母、そして元女優の伯母といった女性達と、彼女たちを取り巻く男性達が入り乱れて、物語は意外な方向に発展していきます。
一見地味な導入部から、徐々に加速度を上げて、政治や芸術論まで巻き込みつつ一気に結末へと向かっていきます。登場人物達の交わす会話という形で随所にちりばめられる芸術論や哲学論は、丸谷氏の博学ぶりを十分に披露しており、いずれも興味深い議論ばかりです。けれども、一読すると物語の主要部分とは関係のない、余計な個所のように思え、ちょっと戸惑うこともありました。
ところが最後まで読み終えて、もう一度本のあちこちを読み直してみると、一見余分に思える記述や、挿話の一つ一つの中に、結末の謎を解く鍵がちりばめられていることが分かり、その構成の見事さに驚かされました。この本は小説風の体裁を採りながらも、紛れもなく丸谷氏による日本文化論であり、その重要な鍵となる観念の一つは「贈与」、つまり何かを贈り、贈られる行為です。
「贈与論」とは、日常生活から、芸術、政治など、人々のあらゆる行為の奥底には、贈与という観念が存在するという考え方で、文化人類学や哲学など、人間の文化的な行為を解き明かす学問では今や古典的とも言える理論です。最も有名な研究としては、マルセル・モースの『贈与論』でしょうか。こうした研究は興味深いけど、その内容を十分に理解するには、複雑な理論と難解な用語と格闘しなければならないのが難点です。その点丸谷氏は、個々の人物達の思惑や行動を通じて、この抽象的な理論を日本の文化論へと接続することに成功しています。そのため、本書は一度目の読書では、物語そのものが楽しめ、二度目は丸谷氏の文化論を味わうことが出来るという、味わい深い作品となっています。
緻密な構成を敢えて自ら茶化してしまうかのような、ユーモアや冗談が随所に織り込まれていることも丸谷氏の作品の特徴ですが、本書でも、もちろんその腕前は冴え渡っています。物語の冒頭で、記事が書けない(!)論説委員の浦野が、何とか社説を書こうと四苦八苦する場面や、何とか同僚の南の気を引こうと、様々な趣向を凝らすいじらしさには、何度読んでも笑ってしまいます。物語では彼は道化師のような損な役回りですが、この本全体が生き生きとして活気に満ちているのは、間違いなく浦野という愛すべき人物のお陰でしょう。
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ありがとうございました。
by okphex
| 2007-02-26 06:06
| 書籍