書評・エドマンド・リーチ『文化とコミュニケーション』
2007年 02月 08日
リーチ,E/青木保訳 1981 『文化とコミュニケーション(Leach, E. 1976. Culture and communication: The logic by which symbols are connected An introduction to the use of structuralist analysis in social anthropology. Cambridge University Press.)』
今回は、写真ニュースはちょっとお休みして、写真撮影の合間にも気軽に読めて、かつ「文化」を学ぶ楽しさを教えてくれる奥深い一冊の本についてお知らせします。
人は日常生活を送る中で、さまざまな手段を使って他の人との社会的な関係を築き上げたり、自分自身の意見や個性を表現しようとします。例えば学生やサラリーマンといった肩書は、自分が社会の中でどのような役割を果たしているかを相手に知らせることに大きな役割を果たします。あるいは成人式や結婚式といった儀式は、本人が人生の新しいステージを迎えたことを実感するために行われると同時に、周囲の人々に対して新しい門出をお知らせする機能があります。このように、人々が社会の中で生きる際に人とかかわり合いを持つことを、広い意味で「コミュニケーション」と呼びます。本書では、コミュニケーションがどのような形で行われるのか、そしてその背後にある構造や価値観は一体何かという人の営みに関する哲学的な課題に迫っています。英語の副題に書かれている通り、議論の土台は、「構造人類学」の論理に基づいています。こう書くと、非常に複雑かつ難解な学術書を予感させますが、リーチならではの非常に簡潔かつ要点を押さえた文章と、わかりやすい例えを用いることで、複雑な構造人類学の理論を楽しく学ぶことができます。
構造人類学では、人がどのような手段を用いてコミュニケーションを行うのか、そして物事をどのように「分類」するのかについて強い関心を寄せています。自然の中ではあらゆるものは混然一体となって存在しており、そこに何らかの基準を設けてあるものと別のものを区別する行為は人の価値観や習慣に基づいたもので、まさに「文化」そのものの現れであるといえます。私たちの生活のリズムを作り上げる「時間」は、その代表的な例の一つですね。また、これから世間は卒業シーズンを迎えますが、卒業式はそれまでの学生の立場から、次の学生の段階、あるいは社会人になる区切りを示す重要な儀式です。ちょっと一般的な卒業式の進行を思い浮かべてみましょう。興味深いことに、会場までは、学生と保護者は行動を共にしますが、式が始まる前にいったん両者は別々の場所に分けられて、開式の合図とともに学生たちはファンファーレと共にようやく保護者の待つ会場に姿を現しますね。こうした、儀式の主役と傍観者の立場にある人々とがいったん区別されて、また一緒になる演出は、他の儀式、例えば結婚式でも見られます。なぜわざわざ、区別する必要があるのでしょうか?リーチはこの演出が、古い身分(それまで生きてきた自分)がいったん「死」を迎え、世の中から分離されて不安定な状態に陥った後、新しい身分に「生まれ変わって」再び世の中に統合されるという「生と死」になぞらえた行為であると説明しています。そして、この区別は服装の形や色、そして当事者の立ち居振る舞いなどの細かい部分でも繰り返し見られるといいます。花嫁の白いウエディングドレスと他の参加者の黒っぽい衣装なんて分かりやすい例ですね。
リーチの文化観は、日常生活の細々とした行為や、物事の観察に基づいています。彼は「物事の本質は細部の中にある」と考え、そして「すべての部分はより大きな複合体の中に、それぞれ特定の位置が割り当てられている」と主張しています。こうした文化のあり方を他との関係の中で見いだそうとする考え方こそ、構造人類学の根本的な思想に他なりません。リーチは細部と全体的な文化との関係を、オーケストラに例えています。個々の楽器は、それぞれの機能に基づいた音色を奏でるが、それらの音が組み合わさることで、見事なオーケストラ演奏となります。こんなふうに例えが親しみやすく、しかも優雅なのは、リーチの洞察力と表現力のなせる技です。僕自身、この本の書評を書いてみて、リーチの文章の巧みさと、自分の文章力のなさを実感してしまいました。本書は、人文科学を学ぶ学生たちにとって、ともすれば難解で退屈な議論に陥りがちな構造主義の格好の入門書となるのはもちろんですが、日常生活の中にある文化の発見の仕方や、その楽しみを教えてくれる気軽なエッセーとしても、どんな人にもお勧めできる一冊です。
今回は、写真ニュースはちょっとお休みして、写真撮影の合間にも気軽に読めて、かつ「文化」を学ぶ楽しさを教えてくれる奥深い一冊の本についてお知らせします。
人は日常生活を送る中で、さまざまな手段を使って他の人との社会的な関係を築き上げたり、自分自身の意見や個性を表現しようとします。例えば学生やサラリーマンといった肩書は、自分が社会の中でどのような役割を果たしているかを相手に知らせることに大きな役割を果たします。あるいは成人式や結婚式といった儀式は、本人が人生の新しいステージを迎えたことを実感するために行われると同時に、周囲の人々に対して新しい門出をお知らせする機能があります。このように、人々が社会の中で生きる際に人とかかわり合いを持つことを、広い意味で「コミュニケーション」と呼びます。本書では、コミュニケーションがどのような形で行われるのか、そしてその背後にある構造や価値観は一体何かという人の営みに関する哲学的な課題に迫っています。英語の副題に書かれている通り、議論の土台は、「構造人類学」の論理に基づいています。こう書くと、非常に複雑かつ難解な学術書を予感させますが、リーチならではの非常に簡潔かつ要点を押さえた文章と、わかりやすい例えを用いることで、複雑な構造人類学の理論を楽しく学ぶことができます。
構造人類学では、人がどのような手段を用いてコミュニケーションを行うのか、そして物事をどのように「分類」するのかについて強い関心を寄せています。自然の中ではあらゆるものは混然一体となって存在しており、そこに何らかの基準を設けてあるものと別のものを区別する行為は人の価値観や習慣に基づいたもので、まさに「文化」そのものの現れであるといえます。私たちの生活のリズムを作り上げる「時間」は、その代表的な例の一つですね。また、これから世間は卒業シーズンを迎えますが、卒業式はそれまでの学生の立場から、次の学生の段階、あるいは社会人になる区切りを示す重要な儀式です。ちょっと一般的な卒業式の進行を思い浮かべてみましょう。興味深いことに、会場までは、学生と保護者は行動を共にしますが、式が始まる前にいったん両者は別々の場所に分けられて、開式の合図とともに学生たちはファンファーレと共にようやく保護者の待つ会場に姿を現しますね。こうした、儀式の主役と傍観者の立場にある人々とがいったん区別されて、また一緒になる演出は、他の儀式、例えば結婚式でも見られます。なぜわざわざ、区別する必要があるのでしょうか?リーチはこの演出が、古い身分(それまで生きてきた自分)がいったん「死」を迎え、世の中から分離されて不安定な状態に陥った後、新しい身分に「生まれ変わって」再び世の中に統合されるという「生と死」になぞらえた行為であると説明しています。そして、この区別は服装の形や色、そして当事者の立ち居振る舞いなどの細かい部分でも繰り返し見られるといいます。花嫁の白いウエディングドレスと他の参加者の黒っぽい衣装なんて分かりやすい例ですね。
リーチの文化観は、日常生活の細々とした行為や、物事の観察に基づいています。彼は「物事の本質は細部の中にある」と考え、そして「すべての部分はより大きな複合体の中に、それぞれ特定の位置が割り当てられている」と主張しています。こうした文化のあり方を他との関係の中で見いだそうとする考え方こそ、構造人類学の根本的な思想に他なりません。リーチは細部と全体的な文化との関係を、オーケストラに例えています。個々の楽器は、それぞれの機能に基づいた音色を奏でるが、それらの音が組み合わさることで、見事なオーケストラ演奏となります。こんなふうに例えが親しみやすく、しかも優雅なのは、リーチの洞察力と表現力のなせる技です。僕自身、この本の書評を書いてみて、リーチの文章の巧みさと、自分の文章力のなさを実感してしまいました。本書は、人文科学を学ぶ学生たちにとって、ともすれば難解で退屈な議論に陥りがちな構造主義の格好の入門書となるのはもちろんですが、日常生活の中にある文化の発見の仕方や、その楽しみを教えてくれる気軽なエッセーとしても、どんな人にもお勧めできる一冊です。
by okphex
| 2007-02-08 05:02
| 書籍