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書評・『フィリピン歴史研究と植民地言説』

レイナルド・C・イレート、ビセンテ・L・ラファエル、フロロ・C・キブイェン/永野善子編・監訳 2004 めこん
911テロ、イラク戦争の勃発と、その後の混乱など、現在アメリカに一極集中している安全保障のあり方に、疑問符を投げかける主張が世界各地でわき上がっています。アメリカは「自由と平和」を標榜しつつも、一方で敵と認識した相手に対しては、「平和の破壊者」のレッテルを貼り付けた上に、容赦のない攻撃を加え、徹底的に叩きつぶす手法をとってきました。こうした、世界を「正義」と「悪」に分けた上で、自らの戦いを正当化するアメリカの主張は確かに分かりやすく、メディアも動員した洗練された説得術に世界の多くは、積極的に、あるいは渋々でも付き従ってきました。しかしイラク戦争の失敗でアメリカの主張はほころびを見せ、アメリカ中心の世界構造を改めて問い直す動きが見られます。



本書は、「911」後の世界的な混乱の中で編まれたものですが、個々の論文は1998年から2001年にかけて3人のフィリピンの歴史研究家によって書かれたものです。本書の目的は、フィリピンの近代史を検証して、これまで通説と考えられていた事実や人物像が、当時の宗主国であったアメリカによってどのように「作り上げられてきたのか」を明らかにすることです。まさにアメリカ中心的な世界秩序の問い直しという現在の潮流を、地域研究の分野で先取りした研究と言えるでしょう。

フィリピンの近代史を簡単に振り返ってみましょう。フィリピンは16世紀末から19世紀末まで、300年にわたってスペインの支配を受けてきました。フィリピンという国名も、カトリックの信者がフィリピン国民の大半を占めているのも、このスペイン支配の影響によるものです。1898年にスペインとアメリカの間で行われた米西戦争の結果、スペインはフィリピンをアメリカに割譲します。以降、1946年のフィリピン独立まで、太平洋戦争中の日本占領期を除いて、フィリピンはアメリカの支配下にありました。
アメリカ植民地時代(『ウィキペディア(Wikipedia)』)

アメリカの支配は周到かつ徹底したものでした。フィリピン占領を円滑に行うために、当時フィリピンをスペインの支配から解放しようと立ち上がった革命勢力に独立の口約束をし、さらにマニラのスペイン軍と「やらせ」の市街戦を行って、無血で首都マニラを制圧します。その途端アメリカはフィリピン支配の意図を露わにして、当初はアメリカを解放軍として歓迎していた革命勢力の臨時政府をあっさり叩きつぶし、反抗する者は軍隊だろうが市民だろうが容赦なく殺戮しました。
一方で、アメリカは武力だけではフィリピンを支配することは難しいことをすぐに悟り、フィリピンの人々がアメリカの支配を受け入れる様々な手はずを整えました。本書が明らかにしているのは、この支配の正当化が、文化的にどのように行われてきたのかについてです。

第1部の3本のイレート論文では、1896年に勃発したフィリピン革命から、フィリピン・アメリカ戦争に至る歴史について扱っています。そして、アメリカが自らを「ヨーロッパの子であるフィリピンに、進歩と近代化をもたらす使者」として規定する一方、それに逆らう勢力を「山賊」と決めつけて殲滅します。この統治政策を正当化するために、革命史や教科書、さらに人口統計を支配の手段として用いたことを明らかにしています。

第2部は3本のラファエル論文です。ここでは、「友愛的同化」が一つのキーワードとなっています。つまり、アメリカが抑圧ではなく「友愛」の名の下に、どのように支配を進めていったのかを明らかにしようとします。その手法の一つとして、人口統計があります。統計は厳密な科学的手法を装って、人々を様々なカテゴリーに分類した後、さらに支配構造に適した形に再構成を行います。そして白人社会に組み込まれたことで、フィリピン人は「向上した」のだと思いこませようとしたとしています。また、西洋社会の周縁と植民地社会が接する境界線としてフィリピンの白人家庭を規定し、女主人と召使いの関わり合いの中に、両者が友好関係を保ちつつ、支配秩序を受け入れていく過程を示しました。

第3部は2本のキブイェン論文です。ここでは、ホセ・リサールというフィリピンで最も有名な文学者であり、革命家として現在でも国民的英雄として慕われている人物に焦点を当てています。アメリカ統治下で、彼の人物像は、スペイン支配に反対するが武力革命には反対する平和主義的な知識人という、極めて支配者側にとって都合の良い人物として描かれます。それが後に反帝国主義者たちによるリサール否定の議論を巻き起こすことになりますが、論争の過程で当時の民衆の抱いたリサールに対する意識とは大きくかけ離れてしまったとしています。確かにリサールに関してはその人物像や思想に関して多くの議論が行われてきたのだろうけど、今の一般の人々は彼の自己犠牲や高潔な人柄など、もっと素朴な動機から敬慕の念を抱いたのではないかと思います。民衆の視点ではなく、文学者や政治家の語りの分析に終始してしまったのはやや残念です。

本書を通じて痛感することは、アメリカのフィリピン支配がいかに周到で、徹底したものであるかということです。例えば、国家が独立するということは、通常の文脈ならば文字通り、国家と国民の独り立ちを示すと考えがちです。ところがフィリピンのある政治家は、1946年のフィリピン独立を「分離独立というよりは、より完全な統合であった」(p.346)と指摘しています。彼の言葉に、覇権構造の精巧さとその根の深さを窺い知ることが出来て、慄然とさせられました。

当然のことながら、本書は、フィリピンという一つの地域の、さらに植民地期という限定された時代の研究書として捉えるのではなく、現代の世界情勢と絡めて考察するべきものです。アメリカの覇権構造を認識しつつ、そこから脱しようとして格闘する彼ら歴史学者達の主張は、現在のアメリカ中心主義的な世界構造を見直す過程にある私たちに対して、多くの示唆を与えてくれます。本書は新たな歴史潮流を把握する上で、必読の書と言えます。

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ありがとうございました。
by okphex | 2007-02-04 09:07 | 書籍