書評・『入門・世界システム分析』
2007年 01月 05日
今回は写真とは全然関係ない文献に関する書評ですが、現代の世界の構造を考える上で大変参考になり、かつ読みやすい本と思い、ここにご紹介します。
イマニュエル・ウォーラーステイン/山下範久訳 2006 『入門・世界システム分析』 藤原書店
本書は、「世界システム分析」の提唱者である経済・社会学者のウォーラーステイン自身が書いた、まさに表題通り「世界システム分析」とは何かを知りたい読者のための入門書です。ウォーラーステインは、「グローバリズム」という言葉が世間で一般的に使用される以前から、一国家の規模を越えたシステムの分析に取り組んできました。彼が「世界システム」を提唱してから三十年が経ち、今や「世界システム」に関する研究書は巷にありふれています。そこで、ウォーラーステインが現在の世界情勢を受けて、改めて「世界システム」を分析する意義そのものを問い直そうと考えたことが、本書の執筆動機となっています。
それでは、世界システムとは一体何でしょうか?この言葉からは、まるで世界を支配する単一の仕組みが存在しているかのような印象を受ける人も多いでしょう。しかし、ウォーラーステインは、何か具体的な体系を備えた理論を提示したいわけではなありません。彼は、これまで「国家」を分析の単位としていた既存の経済学や政治学のあり方に対する批判を踏まえて、地球を覆うほど大規模ではないが、しかし国家の枠組みを超えて一定の規則や制度によって統合された時間的/空間的な広がりを経済や政治の分析単位としようとします。その分析単位を世界システムと呼んでいます。
資本主義経済は近代以降急速に拡大した近代世界システムですが、システムを構成するものは市場、企業、複数の国家、世帯、階級、アイデンティティを保持した身分集団などの諸制度であるとしています。そして、そのシステムの中核をなす国家に存在した産品が、その周辺を構成する半周辺諸国、周辺諸国へと移転する過程が、近代世界システムの過程であるとしています。こうした経済の歴史は、世界システムを分析する上で重要で、理解しやすい分野ではありますが、ウォーラーステインの考察は、経済の分野に止まらず、近代的な「知」そのものの批判的な分析に向かいます。すなわち、近代において、知の体系は、物理学、化学、地質学、数学などの実験や経験を重視する研究を重視する科学と、哲学、古典学、美術、音楽などの、直観や解釈を重視する人文学に分離してしまったことが、学問の細分化を招き、個別領域へ閉じこもることを選んだと批判します。世界システム分析は、経済、政治、社会文化といったそれぞれの分析様式の境界線を取り払い、より統一性を持った知のあり方を模索する試みでもあるのです。
科学実験で測定可能な真理の追究に向かい、人文科学が善や美の解釈に関する領域に向かったという知の分業に関しては、僕もわずかばかりですがその場に居合わせているので理解できます。文化の記述を扱う「人類学」は、科学と人文学のちょうど中間に位置する「社会科学」という学問分野に属するとされています。近年の人類学では、これまで蓄積した学問的資産を、貧困の解決や開発への応用といった、現実の諸問題を解決する手段として応用しようという提案が行われており、こうした応用的な学問のあり方に反対し、学問はあくまでも現実の利害関係とは中立であるべきであると主張する研究者の間で激しい議論が起こっています。本書は、グローバリズムが進む現代世界を分析するだけではなく、こうした近代的知のあり方を考える上でも格好の書物であると言えます。
イマニュエル・ウォーラーステイン/山下範久訳 2006 『入門・世界システム分析』 藤原書店
本書は、「世界システム分析」の提唱者である経済・社会学者のウォーラーステイン自身が書いた、まさに表題通り「世界システム分析」とは何かを知りたい読者のための入門書です。ウォーラーステインは、「グローバリズム」という言葉が世間で一般的に使用される以前から、一国家の規模を越えたシステムの分析に取り組んできました。彼が「世界システム」を提唱してから三十年が経ち、今や「世界システム」に関する研究書は巷にありふれています。そこで、ウォーラーステインが現在の世界情勢を受けて、改めて「世界システム」を分析する意義そのものを問い直そうと考えたことが、本書の執筆動機となっています。
それでは、世界システムとは一体何でしょうか?この言葉からは、まるで世界を支配する単一の仕組みが存在しているかのような印象を受ける人も多いでしょう。しかし、ウォーラーステインは、何か具体的な体系を備えた理論を提示したいわけではなありません。彼は、これまで「国家」を分析の単位としていた既存の経済学や政治学のあり方に対する批判を踏まえて、地球を覆うほど大規模ではないが、しかし国家の枠組みを超えて一定の規則や制度によって統合された時間的/空間的な広がりを経済や政治の分析単位としようとします。その分析単位を世界システムと呼んでいます。
資本主義経済は近代以降急速に拡大した近代世界システムですが、システムを構成するものは市場、企業、複数の国家、世帯、階級、アイデンティティを保持した身分集団などの諸制度であるとしています。そして、そのシステムの中核をなす国家に存在した産品が、その周辺を構成する半周辺諸国、周辺諸国へと移転する過程が、近代世界システムの過程であるとしています。こうした経済の歴史は、世界システムを分析する上で重要で、理解しやすい分野ではありますが、ウォーラーステインの考察は、経済の分野に止まらず、近代的な「知」そのものの批判的な分析に向かいます。すなわち、近代において、知の体系は、物理学、化学、地質学、数学などの実験や経験を重視する研究を重視する科学と、哲学、古典学、美術、音楽などの、直観や解釈を重視する人文学に分離してしまったことが、学問の細分化を招き、個別領域へ閉じこもることを選んだと批判します。世界システム分析は、経済、政治、社会文化といったそれぞれの分析様式の境界線を取り払い、より統一性を持った知のあり方を模索する試みでもあるのです。
科学実験で測定可能な真理の追究に向かい、人文科学が善や美の解釈に関する領域に向かったという知の分業に関しては、僕もわずかばかりですがその場に居合わせているので理解できます。文化の記述を扱う「人類学」は、科学と人文学のちょうど中間に位置する「社会科学」という学問分野に属するとされています。近年の人類学では、これまで蓄積した学問的資産を、貧困の解決や開発への応用といった、現実の諸問題を解決する手段として応用しようという提案が行われており、こうした応用的な学問のあり方に反対し、学問はあくまでも現実の利害関係とは中立であるべきであると主張する研究者の間で激しい議論が起こっています。本書は、グローバリズムが進む現代世界を分析するだけではなく、こうした近代的知のあり方を考える上でも格好の書物であると言えます。
by okphex
| 2007-01-05 18:43
| 書籍