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by okphex
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「国益」を主張する者とは。

よく国会で「国益」をどのように守るのかという議論が白熱することがあります。しかしこの「国益」とは一体どのようなもので、誰が「国益」を守ることでその利益を享受するのでしょうか?
前者の問いに対しては、「健康な生活や福祉」、「経済的発展」を挙げることが出来るでしょうし、後者についてはもちろん「日本人」が候補の筆頭となるでしょう。
前者の答えは多岐に亘るでしょうが、それらの一つ一つについて、猛烈な異議を唱える人は一定の割合を超えないと思います。どんな形をとるものであれ、”それ”を得ることが少なくとも否定的な結果をもたらす物でないことが前提となっているからです。
しかし後者については、しばしばその解釈を巡って議論が錯綜してしまいます。
「日本人」という範疇を確定することが難しい上に、しばしば「国益」を言い出す人は、自らに近い立場の人びとだけを国益を享受できる「日本人」と規定して、それ以外の人びとを受益者的な立場から遠ざけようとする傾向があるからです。

内田樹氏は、オルテガ・イ・ガセー氏の「弱い敵とも共存できること」という「市民」の条件についての見解を援用して、このように述べています。

”国益とか公益とかそういうことを軽々しく口にできないのは、自分に反対する人、敵対する人であっても、それが同一の集団のメンバーである限り、その人たちの利益も代表しなければならない、ということが「国益」や「公益」には含まれているからです。(略)自分に反対する人間、自分と政治的立場が違う人間であっても、それが「同じ日本人である限り」、その人は同胞であるから、その権利を守りその人の利害を代表する、と言い切れる人間だけが日本の「国益」の代表者であるとぼくは思います。
自分の政治的見解に反対する人間の利益なんか、わしは知らん言うような狭量な人間に「国益」を語る資格はありません。”
[内田 2003: 176-177]

最後の段落のメッセージはかなり強い調子ですが、実際に「国益」を語る者の多くがこのような傾向を備えていることを思うと、強い危機感を抱いてしまいます。

疲れすぎて眠れぬ夜のために (角川文庫)

内田 樹 / 角川書店


by okphex | 2011-01-31 23:59 | 日々の文章