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失敗の報酬。

ハーバード大学のサンデル教授は、討論を重視する「正義」に関する講義を展開しています。「正義」という概念を政治哲学の立場から論じる以上、「正義」の認識に「道徳」観がどのように関わってくるのかという問いが必然的に生じることになります。
この問いについての議論の一つにサンデル教授が選んだのは、AIGの役員に対するボーナスの支払いについての問題です。

AIG問題とは、2008年から2009年にかけて世界の金融市場で巻き起こった金融危機に起因しています。当時のアメリカでは、多くの銀行や金融会社が住宅融資に対する無謀な投資を続け、その結果巨額の損失を計上しました。しかし、これらの銀行や企業はあまりにも巨大で、これらが破綻すれば、金融システム全体が崩壊しかねない状況にありました。「大きすぎてつぶせない」という有名なフレーズにぴったりの状況でした。
そのため、議会は市場の安定を優先して、税金を救済資金に支出することをしぶしぶ承認しました。
ところがマスコミが、こうして救済資金を得て経営再建に乗り出したAIGその他の企業の幹部が、数百万ドル以上のボーナスを受け取ったことを報じると、たちまち国民の間から猛烈な批判の声が巻き起こりました。そこで米国財務長官がAIGのCEO(経営最高責任者)に対してボーナスの返還を求めると、「自分の報酬に財務省が絶えず口を出してきて、それに従わなければならないと知れば、最高の人材は集まってきません」とにべもなく断りました。この発言を受けた国民の怒りが爆発し、結果として20人の上級幹部の内15人が総額5200万ドルボーナスの返還に応じた[サンデル 2010: 21-22]。

日本でもマスコミがこの事件を大きく報じたので、ご存じの方も多いと思います。サンデル教授の議論の組み立て方を学ぶために、この問題を事例とした議論を要約してみましょう。

まずサンデル教授は、事件の概要を説明した後、”国民の怒りの核心は、企業救済を受けている幹部がボーナスを受け取ることは、正義に反する感覚だった”と指摘します[同 23]。つまり、自らの舵取りの失敗が大企業を破産の危機に導いたにも関わらず、臆面もなくボーナスを受け取ることは、道徳的な荒廃であるとする信念を、国民が共有していたというのです。

「だが、ボーナスの受領を道徳的な荒廃であるとする根拠とは一体何だろうか?」とサンデル教授は問いを進めます。そして考え得る答えとして、一つに「強欲」に関わるものがあり、もう一つには「失敗」に関わるものがあると整理します。

「強欲」に関わる信念とは、無謀な投資を支持した経営者達が、好況時には儲けを懐に入れておきながら、投資が無に帰した後も平気な顔をしてボーナスを受け取ったことに対して生じます。つまり、まるで強欲な行為は罰則に値するというよりも、褒め称えているようだというのです。

しかし、”強欲を称える気にならないのは理解できる。だが、救済措置というボーナスを手にしている人々が、数年前に好況の波に乗ってもっと多くの報酬を手にした時よりも強欲だと考える理由はあるだろうか。”と、サンデル教授は上記の信念に対して疑問を投げかけます。救済措置後に経営者達が手にしたボーナス(160億ドル)は、好況時のボーナスの額(2006年-340億ドル、2007年-330億ドル)の半分に満たないものです。
”強欲だからと言う理由で、現在のウォール街にボーナスを出す資格がないのだとすれば、当時は資格があったとする根拠は何なのだろうか”と疑問をさらに掘り下げて見せます[同 24]。

それでは、”われわれの不満の核心にあるもの”とは一体何でしょうか。サンデル教授は、”救済措置に本当に反対するのは、それが強欲に報酬を与えるからではなく、失敗に報酬を与えるからなのだ”と、「強欲」に関わる信念と「失敗」に関わる信念との間には関連があることを指摘します。

その上で、市場での経済的成功の承認と、AIGの経営危機に対する批判の両方は、アメリカ人の誰もが共有する、成功と富の獲得を一体として捉える、「アメリカン・ドリーム」なる信憑に結び付いていると言います。アメリカン・ドリームは、確かに誰もが成功を夢想することを許しますが、一方で、”アメリカ人は、強欲よりも失敗に厳しい”―つまり成功と失敗の境界線を明確にすることで、成功した人物が報酬を得ることを正当化すると言う論理が、アメリカン・ドリームの中核を支えているというのです[同 26]。

”つまり”と、サンデル教授は言葉を続けます。”企業救済への怒りの主因は、強欲に関するものではないのだ。アメリカ人の正義感を最も損なったのは、失敗に報酬を与えるために税金が使われているということだったのである。”

日本のマスコミの間では、「AIG問題に対する国民の怒りは、行きすぎた市場主義の弊害に(遅ればせながら)ようやく気付き、反省したことの表れだ」といった論調が主流を占めていました。しかし、サンデル教授の議論であれば、実はアメリカ国民のアメリカン・ドリームに対する信念(というか信憑)は、全く揺らいでおらず、従来アメリカン・ドリームを支えてきた論理構造によって説明可能と言うことになってしまいます。

ということは、現在にいたっても、日本と米国のAIG問題に対する見解は、報道の論調と言った表面的なものは似通っていても、全くかみ合っていないのかも知れませんね。

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

マイケル・サンデル / 早川書房


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by okphex | 2011-01-15 21:46