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by okphex
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分析と考察について。

14日は大学院生の論文発表会に参加しました。

修士論文はみな20歳代の院生で、アフリカの民族社会を調査した正統派(?)の発表から、美術館の展示の有り様を考察した発表まで、実に様々な角度から「現在、我々が生きている社会」を捉えようとしていました。その発想力と累々と積み重ねた努力の成果を心から賞賛したいと思います。

修士論文は基本的に、2年間で課題設定、調査、執筆を終える必要があるため、時間との勝負となってきます。入学当初は2年間あるのだから、と思っていると、意外にあっという間に日々が過ぎ去ってしまい、気が付いたら1ヶ月で書き上げないと間に合わない…、という事態に遭遇することもあります(僕がそうでした)。

そのため、修士論文で完璧な構成と研究成果を追求する必要はなく、得られた成果については、十分なデータに基づいた説得力のある構成を練り上げていき、もしやり残した事があれば、今後の課題として結論で述べておくという方法でも全然構わないと思います。
この点については少々どの発表も「完璧主義」を目指すところがあって、少ないデータで何とか不足部分を接ぎ木しようとして、却って説得力が損なわれている部分も見られました(もっとも、出来映えうんぬん以上に、完璧を目指す姿勢はとても素晴らしいと思います)。

見落としてはならないのに、結構見落としがちなのが、「比較」という分析方法です。例えば僕が「ペットとしての猫」を何らかの研究題材で取り上げようと考えたら、「ペットとしての猫」を基点として、「ペットではない猫」とか、「同じペットとしての犬、あるいはフェレット」といったように、同じ種類に属するのに、役割が異なっているカテゴリーや、同じ役割であっても種類が異なるカテゴリーを設定し、それらとどこが共通していて、どこが異なっているのかを比較することで、初めて「ペットとしての猫」の特徴を掴むことが出来るのです。

こうした作業を経ないで、「ペットとしての猫」の細かな描写に終始すると、説明の仕方によっては「自分の見たいところ、言いたいところだけを都合良く取りだしている」と聞き手に思わせてしまう可能性があります。こうなると、説得力が著しく損なわれてしまうのです。

「客観的な分析」とは、決して分析する立場の人間が中間的な立場から機械的にデータを切り分けていく作業ではなく、自分が重きを置いている部分はどこかを見極めて、それとは異なるデータと見比べてみることで、初めて見えてくるものを掬い上げていく作業ではないかと考えています。

と、自己反省を含めた論文発表会の感想でした。
by okphex | 2010-03-15 07:46 | 人類学・人文科学